落花流水




日も完全に昇りきったある日の午後、
幹部たちが広間に集まり雑談をしている姿を目にした。


おそらく合議のため土方に召集されたのだろう。


他愛もない話をして、笑って、騒いで。
そんな姿を見ていると彼らや自分の置かれている状況を忘れてしまいそうになる。






明日のことすら分からない、不安に満ちた時代だというのに





第一章







「どうした千鶴、浮かない顔してさ?」


覗き込むように平助に声を掛けられ、千鶴はハッとした。


開け広げられた広間の襖に手を掛けたまま
中に入るでもなく、ぼーっとしている千鶴をみて不審に思ったのだろう。


「な、なんでもないよ、大丈夫っ」


慌てて両手を振って答えた千鶴に、平助は腑に落ちない様子ではあったが
じゃ、そんなとこ突っ立ってないで早く中入って来いよ、と表情を緩ませ促した。


「あ、そうだよね」


そう言って笑顔を見せた千鶴だったが、その声に覇気がないことに気付いたのだろうか
平助はやはり怪訝そうに眉根を寄せた。


「お前ほんとに大丈・・ 」


言いながら千鶴の表情を確かめるように接近した平助は
腰に両手をあてて前かがみにぐっと千鶴の目線まで自分のそれを落とした。


心配そうな平助の瞳がすぐそばまで迫り、その思った以上の至近距離に
千鶴は思わず驚いて後退ってしまった。


その瞬間、ドンッと背中に衝撃を受ける。


広間と廊下の境で立ち往生していた自分を思い出して、きっと誰かにぶつかってしまったのだと
千鶴は謝罪の言葉を口にしながら慌てて後ろを振り向いた。


そうして目に飛び込んできた胸元に
ドク・・ッ、と千鶴の心臓が大きく脈打った。


一気に緊張感が走る。
装いと身の丈から、自分に影を落とす相手が誰なのか確認しなくても知れる。


「は、原田さん、すみませんっ」


恐る恐る視線を上げながら、やっとの思いでそう口にした千鶴だったが
千鶴の視線が原田のそれと絡むことはなかった。


もしかして怒ってる・・?


そう思った瞬間、後ろからガッと肩を抱かれた。
原田の左腕が後ろから伸ばされ、千鶴の右肩を掴んでいる。


千鶴の背中と原田の胸がぴたりと密着し、その熱が着物を通して伝わって・・・




・・って、 え、え、えぇぇぇええーーっ!?




困惑の入り乱れた声にならない叫びを千鶴が心中で上げていると
同時に目の前の平助が悲痛な声を上げた。


「い゛痛ぇーッ!」


その声に驚いて、平助へと視線を戻した千鶴は唖然とした。


そこには原田の右手に顔面を掴まれた平助の姿があった。
原田は左腕で千鶴の肩を抱き寄せ、もう一方の手で平助の顔を押さえつけているのだ。


な、なに!?


状況をまるで飲み込めない千鶴は原田にされるがまま身を預けていたが
さらにぐいっと千鶴から遠ざけるように顔面を押さえ付けられた平助は抗議の声を上げた。


「マジで痛ぇっつーのっ!」


平助と千鶴の間に十分な距離を取らせたあとで
原田は何事もなかったかのように平助の顔から手を離した。


「あぁ悪い、つい、な。」


そして千鶴の肩からもするりと腕が外される。


まるで惜しむ様子もなく解かれた腕に千鶴は切ない思いを抱きつつも
極度の緊張からようやく解放されてほっと短く吐息を漏らした。


しかし黙っていられないのはもちろん平助。


「つーか、いきなりなんだっつーんだよ左之さんッ!」


予想通り目くじらを立てた平助に、原田はさらりと言った。


「何ってお前、近ぇんだよ」


「へ?・・なにが?」


「顔が。」


「かお・・?」


きょとんとする平助に原田はふ〜っと呆れたように短く息を吐いた。


「お前、千鶴と話すとき顔が近ぇんだよ、こいつびっくりしてんだろ
お前に下心があるとは思わねぇが千鶴も女だからな、距離感を考えてやれよ」


そう言ってにやにやと笑った原田に、平助は突然顔を真っ赤にして半歩下がった。


「し、下心ってなんだよっ!そんなもんねぇし、さっきのだって俺にとったらフツーの距離だし・・ッ
つか、だったら今の左之さんの方がよっぽど千鶴にくっつき過ぎじゃねぇのかよっ!?」


びしっと原田と千鶴を交互に指差して平助が反論すると
楽しそうに笑いながら原田が言う。


「これはお前の無神経な接近に怯える千鶴を守るために必要な距離なんだよ」


「む、無神経ってなんだよっ!」


そう反論しつつも、原田のこの言葉に平助は心配そうに千鶴へと視線を運んだ。
そして躊躇いがちに「俺、無神経?」と聞いた。


不安そうに答えを待つ平助が可愛くて千鶴は思わず笑ってしまった。


「平助くんが無神経?いつも私のこと気遣ってくれてるのに?」


千鶴の言葉にほっと安心したように平助が吐息を付くと
原田は揶揄うようにほくそ笑んだ。


「よかったなぁ、平助?」


すべてを見透かしたような原田の言動に、平助がカァァっと頬を染め声を荒げた。


「左之さん、さっきから俺のことからかって遊んでんだろっ!」


「だってお前、いちいちムキになって面白ぇんだもんよ。」


「ひでぇー」


そう言って膨れっ面をした平助に、
原田の後ろで事の一部始終を窺っていた永倉が顔を覗かせた。


そして原田の左肩へ自分の肘を置いてもたれ掛かると、呆れたように言葉を吐いた。


「左之〜、いい加減その辺にしといてやれよ、気持ちは分かるが平助ごときに必死なお前もちーと大人げねぇぞ」


永倉のこの何かを含んだ物言いに原田はピクっと眉根を上げて反応した。


新八にしては鋭ぇな・・


原田はその真意を探ろうと永倉へと視線を移し口を開いたが、
瞬発的にそれより早く平助が永倉に突っ掛かった。


「それどーゆう意味だよ、新八っつぁんっ!!」


「あぁ?言葉の通りの意味だよ、そんなに必死にならずともお前を弄ぶくらい俺にゃ朝飯前・・・ってなぁ?左之?」


「・・あ?」


永倉の言葉の意図するところを探り損ねた原田は
瞬時には考えがまとまらず、あやふやな返事をしていた。


「つーか、新八っつぁん最初から見てたんだろ?だったらなんでこの状況で左之さんの味方するかなぁっ!?」


「いろいろ面白ぇからだよ、俺は己の欲望を満たすことに忠実だからなっ」


そう言ってガハハと大笑いしはじめた永倉を見ながら
「こういうのを無神経っつーんじゃねぇのか?」と平助は呟いた。


そしてそれを聞き逃さなかった永倉との一騎打ちが始まり
目の前でぎゃーぎゃーと騒ぎだした二人に原田はハァっと偽りのない溜息を漏らした。


必死にならずとも平助を弄べるんじゃなかったのか・・?







こういう時の永倉の真意は長い付き合いといえども測りかねる。
しかし一度流れた話題をわざわざ戻してまで確認することもない。


まぁ、バレて困るもんでもねぇしな・・


原田はそうあさっりと考えを整理すると
さらに激しさを増した二人の低次元な言い争いに割って入った。


「平助、新八、おめぇらいい加減にしろよっ!!」


その台詞に平助が「つーか、元はと言えば左之さんのせいだろっ」と零したことに始まり
その後、仲裁役は現れないまま状況は激化した。


しかしこういう時の三人の表情は生き生きとして心から楽しんでいるようで、
千鶴はそんな彼らの関係をとても羨ましく思う。








そして毎度のことながら最後に部屋に入ってきた土方が
この三人の様子を目に、この上なく深く深く眉間に皺を寄せ、


「そこの馬鹿三人っ!黙ってさっさと座りやがれっ!!」


と一喝することによりようやく事態は収拾されるのだった。


千鶴は苦笑いをしながら、お茶を用意すべくその場を後にした。











明日、何が起こるか分からない時代でも、今、この時はすごく幸せで、
こんな日々がこの先もずっと続けばいいのにと千鶴は願う。



そしてこの想いを代償にそれが少しでも叶うのならば
きっとその時は、この想いを捨てられるのだろう、と。

















- 第一章/end -